第60回東京優駿 ウイニングチケット 1993/5/30

予想アプローチ

 私が20歳を超えて本格的に競馬観戦と予想を始めてから5年後、今でもオールタイムベスト日本ダービーと言うに相応しいレースに出会った。ウイニングチケットとビワハヤヒデ、そしてナリタタイシンのいわゆるクラシックレース3強の激突ドラマだ。当時の私は今と違い、姿や血統を見て思い入れの深い好きな馬をひたすら応援していくスタンスをとっていた。メジロアルダンのあの巨体から沈み込むような姿勢で首を前に前に突き進む姿。メジロライアンの筋肉質でピカピカの馬体と自意識過剰のようにも思える怒号の追い込みに惚れ、トウカイテイオーの能力の半分も出し切ってないような華麗な走りでダービーを突き抜けた勇姿。毎年個性的なタレントが多く出ていた時代だった。この1993年のクラシックはナリタタイシンを応援していた。デビューから連戦につぐ連戦。しかし小柄な馬体でラジオたんぱ3歳Sを制し、どんな状況でも確実に馬群から豪脚を繰り出して追い込んでくる勝負根性に胸を撃たれた。(今はどんなレースを観ても胸を撃たれることはない)しかし、弥生賞をウイニングチケットが圧勝した時では話題は早くも柴田政人騎手の初めてのダービー制覇なるかがクラシックの焦点だと、なにやら異様な雰囲気になっていた。まだ皐月賞前なのに。ちなみにウイニングチケットの所属厩舎は伊藤雄二厩舎だったが、伊藤雄二厩舎で一番期待されていたクラシック候補の新馬はニホンピロスコアーという大物だったということを覚えている。テレビでもたしか伊藤雄二調教師がカメラ前でデビュー前のニホンピロスコアーの鬣をなでながら主張していて、その同じ映像の後方馬房内で草をムシャムシャ食べていたのがウイニングチケットだった。当初の一番の期待はウイニングチケットではなかったのだ。しかしそのニホンピロスコアーが圧倒的1番人気だった新馬戦でニホンピロスコアーを子供扱いし大差圧勝したのは2番人気の浜田厩舎ビワハヤヒデだったのは面白い。ニホンピロスコアーの出世を妨げていたのは気性難だった。話を戻して皐月賞。弥生賞の勝ちっぷりからウイニングチケットが1番人気、若葉賞を流す程度でも楽勝したビワハヤヒデが2番人気。ナリタタイシンが3番人気。3強対決の様相はすでに確立されていたもののナリタタイシンだけはオッズ的には2頭よりも離れていた記憶がある。つまり実際はウイニングチケットとビワハヤヒデの2強対決の舞台だったのだ。しかし蓋を開けてみればナリタタイシンが後方のとんでもないところから飛んできてビワハヤヒデを僅差で差し切り1冠をかっさらったのだ。後年の武豊騎手が有名サンデー産駒に騎乗して追い込んで勝ちまくった黄金時代の布石はサンデー現象以前のナリタタイシンの皐月賞なのである。しかもディープインパクトの軽く飛ぶとはまた次元の違う重厚な飛び方をしていたのは間違いない。さて、いよいよダービー。当時NHK杯がダービートライアルだった時代、マイシンザンが伏兵として名乗り出たものの、3強対決は皐月賞の時よりも色濃く盛り上がっていた。しかし単勝1番人気は皐月賞4着だったウイニングチケット。(3着のガレオンが降着したためで実際は5着。)やはり柴田政人騎手の初めてのダービー制覇を願う応援馬券がオッズに反映されていた。ゲートオープンではいつもの定位置をアンバーライオンが取りに行く。直線を迎えるとウイニングチケットが早くも先頭に立つ。仕掛けが早いと誰もが思った。ビワハヤヒデが内から迫る。ナリタタイシンが外から飛んでくる。危ういウイニングチケットを辛抱させたのは柴田政人騎手渾身鞭の連打。これはもう人馬一体の執念の現れだろう。迫力の3強対決はウイニングチケットが勝利した。観客席は感動の嵐で渦巻いている。今観ても感動する。ガレオンもマイシンザンもツジユートピアンもステージチャンプもいた。サクラチトセオーも頑張った。こんなもの凄いタレント揃いのダービーでも期待通りに3強対決となったのである。

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