安曇野学派とは?

2019年9月2日

 安曇野学派とは何か?それは、私にとっての老後の人生学習を、安曇野の緑多き自然の中で楽しみたい一心で我儘勝手に思いついた学問の派閥のことである。派閥と言っても今まだ気ままな独り学派を名乗っているだけで、私自身学問としての実績も全くなく、すべてはこれからの強い意志と行動による理想の生涯学習の形作りなのである。具体的には?たとえば穂高有明の『たび茶』や『Cafe書簡集』で静かに珈琲を飲みながら本を読む。『ティータイム ガルニ』のテラスで朝のフレンチトーストを食べながら哲学を思考する。冬などは『陶苑』で暖まりつつ手作りチーズケーキの甘みを味わいながら歴史の真実を紐解いていく。そんな情景が常に頭の中を巡り巡っているものの、安曇野に住むことは何らかの生活基盤としてのビジネスを東京から持ち込まなくてはならず、現状なかなか思い通りにいきそうにない。しかしそうはいっても 安曇野へは東京から車で3時間くらいでたどり着くわけで、思い立って一泊でも時間が取れればかなり有意義な学習というものは可能なのである。しばらくの間は休日限定で季節的にも最適な春と秋に勉強会を開催したい思っている。

 人生100年とするならば我が生命は50年半分を過ぎた時点である。ここにきて2001年9月11日アメリカ同時多発テロから2008年10月リーマンショック、そして2011年3月11日の東日本大震災と21世紀初めから早くも激動の様相を目の当たりにし、今後に目を向けても2020年東京五輪後の不況懸念、新たな大規模な自然災害の危険性、さらには無差別テロの拡大化の恐れ、東アジア情勢の不穏さなど、不安は常に尽きない状況である。そうした生命危機リスクが増幅した大局的な危急存亡を否が応でも迎えなければならない場合、果たして個人のみの幸福の追求だけに没頭している日常にどれだけの生きる価値というものが見出されるのか?生き抜くために大事なのは、この不条理に充ち満ちた世界の成り立ちとは一体どういったものなのかを知ることから始めなければいけない。そうでなければ人生における精神的向上などを見出すことは到底できないのである。

 文明というものは結局、自然の生態系から逸脱したものであり、家畜制度や栽培は奴隷制度につながる蛮行でもあるし、産業革命による殺戮兵器の大量生産は、それによる戦争や地球破壊を続けてきた。いったい人類の歴史とはなんなのか?つまり、なぜ同時多発テロは起きたのか?東日本大震災で東北地方はなぜあれほど膨大な被害に見舞われたのか。グローバル化の問題とは。多文化共生を進めながら、一方では排除が鮮明になっていく。この現象はいったい何なのか。ここで秘めた飽くなき探求心を発揮することができれば、 今まで見えていなかったものが見えてくるだろうし、生きる価値にも繋がるはずである。そのためにまず安曇野学派は探求心を手段として、無知による安易な善悪の対立軸からの脱却を目指し、倫理的な判断を備え、真に聡明な人材を養成する学問所として人生の成長に機能していきたいと思うのである。

上記の映像を視聴してください。真実の探求への入り口となる動画です。

Posted by Hideki Shimizu